2018年 「米騒動100年」プレ企画
米騒動から100年は〈68年〉から50年でもある…
企画:〈68年〉から50年
ニューズレター 発行
「忘却のかなたにおいやられたかにみえる記憶は、持続的に過去を想起し続ける想像力によって、現在の中に追体験される。そして、過去は過去ではなくなり流動を始め、現在に向かって覚醒する。この時、無意識のままに流されていた現在も流動を開始し、今をつくる無意識は打破される。」(小野沢稔彦)
 
2018年1月13日
Part 1 13時 ~16時半  サンフォルテ306号室 にて
Part 2 18時半~20時半   生・労働・運動ネット富山 事務所 にて
Part 1
「〈68〉年-語る・語らない・語りえないのあいだ」 註)
 
● 小杉亮子:こすぎりょうこ
社会学専攻。京都大学アジア研究教育ユニット研究員。1960年代にさまざまな国・地域で同時多発的に起きた若者による社会運動が現在の研究テーマ。〈68〉年を主に文化史的側面から考察し続けている。

 近年、〈68〉年とは何だったのかを、若い研究者たちが新たな手法・視点で研究している。小杉亮子さんもその一人である。当時の学生運動に関わった者たちへのインタビューを通して〈68〉年に迫ろうとする小杉さんは、当事者たちの様々な反応から、「語る・語らない・語りえない」の「あいだ」があることに気付く。  小杉さんをお迎えして、〈68〉年について語り合う集い。

(註)
「…どのような理由にしろ、おそらく、1960年代の学生運動にくわわった自らの経験について、語りたくなかったり語りづらさを感じていたりする人びとが数多く存在しているのだ。そして、参加者が語りたくないこと、語りづらいこと—さらにいえば、(東大全共闘の「代表」だった)山本義隆の本書のように”語らない”という判断を越えて語られること—こそが、1960年代の学生運動の特徴を物語っているのかもしれない。…研究が広がり始めたこの時期に、重要な当事者のひとり(山本義隆)がそれまでの沈黙を破って語り始めたことは、それだけで貴重である。しかし本書の意義はそれだけでなく、語らないから語るへという、山本の選択自体がいまの社会状況のなかでなにを意味しているのか、それを受け止めてわたしたちはなにをするべきか、そのことに想像を働かせる機会を与えてくれているという点にもある。」(小杉亮子「語る、語らない、語りえないのあいだ―山本義隆『私の1960年代』を読み解く」(「現代の理論」8号から)
Part 2
「『〈68〉年から50年の〈後〉に』―故旧忘れうべき」物語
● 埴野謙二:はのけんじ
 生・労働・運動ネット富山。〈68〉年から40年の時点で「浦島太郎物語」を語ったのに続いて、〈68〉年から50年には「〈68〉年から50年の〈後〉に 故旧忘れうべき」物語を語る。
 生・労働・運動ネット富山の「パンフNo.2」(2009年発行 所収) pdf
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